「発達障害じゃない」は、ショックな言葉【無理しているだけだよ】

発達障害に見えない



なっつんです。

先日、知り合いからこんなことを言われました。

 

恐らくすごくポジティブな意味で、褒めるつもりで言ってくれたのだろうな、というのはすごく分かります。

が、私はなぜか「発達障害じゃない」という言葉に、なぜだかショックを受けてしまい、モヤモヤした感情を抱いてしまいました。

私だけかと思ったら、何とこの記事を書いている時点で上記のツイートに898いいねがついて軽くバズったので、それもびっくりしました笑

あ、同じように感じてる人がこんなに居たんだなぁと、ほっとしました。

 

障害があるよりは、ない方が良いに決まっています。

それなのになぜ「発達障害じゃない」という言葉がこんなに当事者の心にはグッッサリと突き刺さるのか、理由を考えてみました。

恐らく世間の「発達障害者」のイメージと、実際の「発達障害者」の間には大きなギャップがあるのではないかと思ったので、その点も考えてみます。

目に見えない障害ですから、見た目は普通の人と何も変わりませんし、見ただけでは分かりません。

だから「発達障害に見えない」と言われたことがある当事者の方も多いのではないかと思います。

それが当事者にとっては1番難しく、苦労する点だったりするのですよね・・・。誤解されたり変人扱いされるからです。

 

普通の人が「アスペルガー」「ADHD」に抱くイメージって、かなり極端だなと思った話

私ははっきりと診断書に「自閉スペクトラム症」と書かれ、ADHDも診断されて服薬し続けています。

それでも「発達障害に見えない」「普通の人にしか見えないよ!」と言われることが今までに多々ありました。

なっつん

SNSで「偽発達障害」と書かれたことも(^^;)

話を聞いていくと、どうやら普通の人は発達障害にこんなイメージを持っている?ようです。

普通の人が「発達障害」に抱くイメージ
  • アスペルガー、自閉症→ 一言も喋れない、一切コミュニケーション取れない、視線が合わない
  • ADHD→ 叫ぶ、暴れる、動き回ってる、物を壊しまくる問題児

「自閉症」「注意欠陥多動性障害」という何やら仰々しい言葉の響きから持つ印象か、あるいはマスコミの影響か・・・発達障害はこんなイメージを持たれているようですね。(もちろん全員がそうと言うわけではなく正しい理解をしてくださっている方も居ます。)

 

ですがこれ、完全なる誤解です。

病院・当事者会などで色んな発達障害の方に会いましたが、普通にいい人が大半です。

というか、過去にいじめられたり傷ついた経験をしているだけ他人の痛みが分かるので、とってもとっても優しい人が多いんです。当事者会も驚くほど優しさに満ち溢れています。

そしてアスペの人でも普通に言葉は喋れますし、コミュニケーション取れますし、目は合います。ADHDの人でも落ち着いてる人は居ます。

なっつん

ただ、「言われてみれば確かにそういうとこもあるかな?」って思うぐらい。

私もそうなんだと思います。

「発達障害に見えない」人の大半は、後天的に努力して「健常者のふり」を身につけた人たちです。

つまり一時的に仮面を被ったり変身の術を使っているだけ。

ずっとその「ふり」を続けていたらもちろん疲れてしまうし、ありのままの自分を全開にすると、やっぱり発達障害だなーって一面が出てきます。

なっつん

例えば外では身なりも綺麗でまじめなのに家の中がゴミだらけで散らかりまくってる人とか、社会性を身につけたADHDあるあるですw

なっつんも、「あなたは普通にコミュニケーション取れるから自閉症じゃないよ」と言われたことがあります。

でも私は10代の頃は全く喋れない子供でした。言葉がぽつぽつ出てくるようになったのは高校生、普通にコミュニケーションが取れるようになったのは20歳ぐらいです。

つまり後天的に社会性を身につけた、だけです。

根はアスペのままなので、1人の時間が絶対必要ですし空気読まないで単独行動するのが1番楽です。

こんな子供は自閉症(アスペルガー)かも。当事者が語ります。

2018年6月9日

そのようにしてみんな努力して、後天的に「普通」になるふりを覚えて、自分をごまかしながら、必死に生きているのです。

 

「発達障害に見えない」人は、かなり無理してその状態を維持している

「普通」のふりを長年続けていたらどんどん「ふり」が上手になって、健常者に擬態するスキルが上級者レベルにまで達してしまったという人も居るでしょう。上級者レベルになると普通に会社に馴染んで働けるようになってきます。

発達障害者が苦労を乗り越えて自立できるようになった。大変喜ばしいことです。

が、Twitterを見ていて思います。

発達障害でも何とか働けている人、消耗してる人多い・・・。私も含め、生きづらそうな人多い・・・。

例えばこんな意見を頂きました。

 

 

 

 

最後の方はADHDのグレーゾーンでご家族が発達障害という方ですが、すごく的を得た発言です。

「発達障害の方は人の数倍努力してやっと人並みの結果になる」

まさにその通りです・・・。

発達障害の人は、普通の人の数倍(10倍とおっしゃってる方も居ますね)努力して無理をして頑張っている状態で、やっと「人並み」レベルになれるのです。

つまり普通の人が80%ぐらいの力で通常運転しているところを、我々は常に150%の力を出し続けている状態です。

ずーっと150%の力を出し続けていたらどうなるか。もちろん疲れますよね。

でも普通の「ふり」をし続けて何とか働けている発達障害の人は、この状態なんです。

なっつん

例えば発達障害の人の苦手な「電話応対」。

なっつんの場合は電話を取る前も、メモしている最中も、取り終わった後も、動悸が早くなって、心臓バクバクで、電話が終わった後はぐったりしてしまいます。

めちゃくちゃエネルギー使ってます。だって脳が苦手なことを無理やりやろうとしてるから。

 

「発達障害じゃない」という言葉がなぜ当事者にとってはショックなのか

これは恐らく当事者にしか理解できない、すごく繊細で複雑な気持ちなのですが・・・

発達障害の人は目に見えない障害と戦い続け、いじめられる確率も高く、ハンデを背負いながら頑張ってきたわけです。

最初のツイートにもある通り、なっつんもめちゃくちゃ努力しました。

子供の頃は発達障害に気づかなかったものの、自分にコミュ力が欠け落ちていることも、要領が悪いことも何となく自覚していました。ぼーっとしていたら変なやつだといじめられてしまうことも分かっていました。

だからそれをカバーするため、勉強を頑張りました。コミュ力がなくてもトロくても、成績が良ければ「すごい!!」と褒められて、尊敬の目を向けられて、いじめられることはなくなりました。

勉強と努力で発達障害をカバーできることを悟ったわけです。

このようにして、みんな苦労する中で発達障害をカバーする自分なりの方法を見つけたのではないでしょうか?

勉強以外でも、何かをすごく頑張ってきたという方は多いと思います。

その長い戦いの末、普通にお金を稼いで生活できるようになったら、それは「発達障害じゃない」と思われてしまうのです。

普通に生活できているから、それは発達障害じゃない「普通の人」。

でも実際は150%の力を出して何とか生き延びている状態。生きづらいし、消耗している。でも「普通の人」。 

これが、何だかすごく悲しかったです。

「私が今まで戦ってきたのは何だったんだ」という気持ちになりました。

虚無感、が近いのでしょうか。

 

私たちは頑張って走り続けて、やっとスタートラインに立つことができる。

でも普通の人たちは最初からスタートラインに立っているから、

頑張って走れば、そこからもっともっと先まで走ることができる。

いくら走っても埋められない差がある。

それが悔しいのかもしれません。

 

しかも目に見えない障害だから、

例えるなら、オリンピック選手とパラリンピック選手が同じ試合で戦っているようなもの。

同じ試合であれば、当然パラリンピック選手の方が不利です。

でも誰もそのことに気づかず、ハンデのないオリンピック選手の方をすごいすごいと褒める。

ハンデのあるパラリンピック選手は、いくら頑張っても勝ち目がない。

発達障害の苦しみは、その光景に似ています。

 

発達障害が、もっと広まってほしい。目に見える障害になってほしい。

頑張っている発達障害の人が、努力を認められて、活躍できる社会になってほしい。

これが私の願いです。なので今日もブログを書き続けています。



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